・・いつかいつかと思っていたのだが、実現できないので、日記のカテゴリの一つとして書いていって後でまとめようと思う。
いろいろな本を読んで目がとまった表現というか言葉というかそういうやつ。
開高健 「花終わる闇」より。
書きたいことが何もないから書けないのではない。
たくさんあるのに書けないのである。それは凝視するとこっそり遠ざかっていき、無視すると足音をしのばせて寄ってくる。東に陽炎がゆらめき、西に逃げ水が輝いているといってもいい。近寄ってきた気配を感じて体を起こし、机にむかうと、たったそれだけの動作なのにたちまち消えてしまい、私はしなやかに痺れてしまって、万年筆をとりあげることもできなくなる。
作家に限らず、ものを作ったりする人でも同じだと思う。創作活動において机に向かわせるナニカ・・・・を上のように表現していた。
また、氏は、書けなくなると夜中にポケットにチーズをひとかけらいれ、野良猫に会いに行く。
二筋めの角の小さなタバコやのゴミ捨てのポリ・バケツにチーズをのせると、私はちょっとはなれて待つ。すぐにどこかで小さな、あたりをはばかった、澄んだ、短い鳴き声がする。軽くて柔らかい足音がして、片耳のちぎれた醜い牡猫が姿をあらわす。引っ掻き傷や、皮膚病や、やけどのあとなどで崩れるままに崩れているが、白と茶の斑の老雄である。毎夜私がそこへチーズを持ってやってくるのをしっていて、時刻になればかならずポリバケツのかげにひそんでいるくせに、どうしても私の手からチーズを食べようとしはしない。バケツの蓋においてやらなければ食べないのだ。そうしないで手に持ったままでいると、いつまでも暗がりにひそんだきりで、でてこようとせず、ただ凝視しつづけ、待ち続ける。えさをもらったところでのどを鳴らすわけでもなく、首をたわしの足にすりつけることもせず、媚び鳴きをするのでもない。チーズを食べたあと、ひとしきりカボチャ顔の目を細めて凸凹だらけの全身を舐めまわし、昂然と頭をもたげたまま、うつらうつらと沈思に陥ちていく。そこをはなれて五、六歩いってからふりかえると、猫はふてぶてしくも端正に《!》のマークのようにすわりこんだきりで微動もしない。
いいね。うん。